体験談② 孤独を分かち合う

50~59歳 女性 ぶたさん

ひとりでもいい!って決めて、自分ひとりでいるから?「わたしはひとりじゃない」って思えるのかも?しれないけれど。それなりの、さみしさや葛藤はあります。ただ!そういうものに振り回されて自分が、燃え尽きたくないだけです。憎しみやいままでのことで「いのちを燃え尽きさせたくない!」ただ!それだけです。

40~49歳 男性 ぽんたさん

一人でいることを孤独と思っていた。
しかし、「ひとりでいること=孤独」と思い込んでいたのが間違っていた。
いつもあの人の周りには人がいて人気がありスターだという人の方が孤独を感じていることを知った。
集団の中にいるのが好きか ひとりでいるのが好きか ひとりでいるのが好きならそれは自分で選択した生き方。それは孤独ではない。 人間だれしも一度くらいは、人気者でスターになることにあこがれる。しかし、人気者でスターになった人が孤独を感じるということは、 人気がありスターになるための活動と
孤独ではない生き方をするための活動
が異なるということだ。
簡単にいうと、広く浅く or 狭く濃く かだ。
孤独への対策は、たった一人の人との関係を深くするためには、どうしたらよいか に、すべてを注ぐことだ。深い関係になる人が現れるまで、チャレンジしていく。あきらめずに、チャレンジしていく 出会いをもとめていく。そういう人生を送ることだ。
しかし、仕事や稼ぎたい場合は、人気がありスターになるための活動になる。だから、仕事優先の価値観の世の中では、孤独を感じやすいのは致し方ない。
孤独への対策は、同じ境遇の人を探すことだ。サッカーがしたいならサッカーの仲間を求めるように、今のあなたが孤独を感じるなら、孤独を感じている仲間を求めることだ。
肉親を亡くし悲しいなら、同じような人と出会い語り合うことだ
今あなたに襲い掛かっている その心 感情が 求めているテーマなのだから
出会いをもとめ、あいさつをし、はじめと 別れ際には、握手をすることだ。
できれば 海外の人のようにハグをする
いろいろな言葉のみの相談や専門家の話よりも、黙って肌のぬくもりを感じるほうが特効薬だ
えっ!?と ちょうちょする気持ちがあるだろうが、これ日々の練習
練習の場を設け 出会いをつくる場を提供するのも行政の役目だ。

20~29歳 男性 たけけんさん

私が孤独を最初に感じたのは、小学生の頃でしょうか。当時自分は自転車に乗れませんでした。又、テレビゲームも苦手で全然遊びにもついていけていませんでした。周囲の同級生が自転車に乗って出かけていくのを見たり、テレビゲームですぐに負けてすることがなくなった際置き去りにされたような寂しい気分になりました。その後中学受験の為塾に通い友人ができたり受験勉強に打ち込んだりして気を紛らわすことはできましたが、小学校時代は孤独感を常に感じていたように思います。
その次に孤独を感じたのは大学4年の時です。周囲はゼミナールやサークルの友達と楽しそうに話している中、そうした仲間も居らずキャンパスで一人で過ごしていた時は非常に寂しく思っていました。その時はハロープロジェクトのアイドルのラジオやブログを読んで気を紛らわせていました。
こうして過去を振り返ってみて、孤独感を感じている時は周囲から取り残されている感覚があることに気付きました。ですが、孤独感を感じている時にも全く孤立していたわけではなく周囲に友人等誰かは居てくれていたのだと今は思います。ですが、孤独感を感じている時はその傍らの人のことをあまり大事にはできていないように思えます。あくまで私にとって孤独とは周囲に雑な対応をしてしまうが故に孤立してしまう状況です。その状況を脱するためには、何故今自分が孤独な思いをしているのか論理的に説明できることが必要なのではないかと思います。その為には本を読んだり、文章を書いたりといった知的作業に触れる機会が必要不可欠です。
孤独対策としては、孤独を抱えている当事者が自分の置かれている状況を客観的に把握し問題解決に向けて動いていけるようサポートできる体制を構築していくことが必要なのではないかと私は思います。最後になりますかま、ここまで私の拙い文章に目を通して頂きありがとうございました。

40~49歳 女性 necoさん

【障害年金請求の困難さについて】
精神障害(双極性障害、発達障害)で障害者手帳は2級ですが、後見人はおらず、家族の介入もなく、体調が不安定で通院すらままならず訪問診療を受けています。
体調が不安定なことから、グループホームから実家へ戻されたことで生活保護も廃止となり、主治医から一人暮らしをし生活保護を再開するよう勧められたものの、体調不良の状態で新居を探し家電を揃えることはできず実家に戻りました。
経済的な不安定さからの悪化も経験しており、主治医から障害年金請求を優先順位1位にするよう言われましたが、最初に説明したように、後見人や家族の手伝いはなく、発達障害の特性と体調の不安定さにより、1年4ヶ月以上経った今も書類の作成はできない状態(必要書類や情報の収集は、発達障害特性があっても可能)です。社労士へ着手金を払い委任したものの、足元を見るような言動で、事務的なメールすらきちんとした返信をもらえず、振り回されて体調が悪化しています。 年金事務所へ相談に行き、後見人も家族も社労士の協力も得られない人はどうしているのか質問しましたが、体調が悪くても頑張るという答えしか得られませんでした。
発達障害の特性上の困難さなど、見た目で伝わらないため、主治医と病院附属のデイケア担当者が社労士へ電話でどんな対応を必要としているか伝えても、それすら無視されました。
これまで、絶望しないよう気を付けて前を向き続けてきたつもりですが、障害年金の請求の困難さに「わたしはひとりだ」という思いを抱かざるを得ない状況へ追い込まれています。
81歳の母が認知症初期段階になり、不安ばかりの日々です。(2人家族で、頼れる親戚もいません。)
自立支援の範囲内ではない入院すらできません。
障害年金請求の前では「わたしはひとり」です。

50~59歳 女性 ゆっこちゃんさん

私は、小学生の時、転校をきっかけにいじめを受けました。死ねかもしれな・・そう思いました。何より子供ながらに、このような状況に危機感を持つ子がいない(もしかしたら、友達を死なせてしまうかもしれないと思う子がいない)ことがショックでした。私の心に怒りがこみ上げると同時に、同じことを繰り返されないようにするにはどうしたらいいのか考えました。卑怯なことをするのなら、けんかをしようと、クラスメイト女の子10名対一人のけんかをすることになりました。どちらが勝つとか負けるということではありませんでした。けれども、それ以来ふざけて何かをされることはなくなりました。でも、私の心には大きな傷が残りました。先生にも親にも、そのような状況を知らせても、何もできないことを分かっていたからだと思います。仮に、どちらかに話をしたとして、危機感のある先生は何らかの対策を考えるかもしれません。けれども、それは一時的な対処にしかならないでしょう。対処によって、いじめは更に陰険になるかもしれません。また、親が学校に訴えたとしても、学校は親の言い分だけを聞くことはできないでしょう。何よりも大切なことは、人は一人で生まれ、一人で旅立っていくいくことを大前提に生きることを学ぶ教育が必要だと思います。必ず人生において逆境はあること。その苦しい状況をどのように乗り越えることができるのかを繰り返し学ぶことではないでしょうか。「わたしは、ひとりなのです。」けれども、そのひとりひとりが誰かを支えているのではないでしょうか。誰かを支えると言えば、ヤングケアラーが社会問題になっていますが、若い人がお年寄りの面倒(家族の面倒)を見ることはいけないことでしょうか。ヤングケアラーに対して、問題意識の前に、小さな体で、まだ成熟していない心で、必死に生きている子供を褒めているという印象を受けないと思うのは私だけでしょうか。ヤングケアラーの問題は、ケアーすることによって、学業に支障がでるということですが、では学業に支障が出ないようにするためにはどうしたらいいのか・・ということです。義務教育という定義に縛られることなく、様々な環境、様々な個性を伸ばすための教育を模索するときが来ているのではないでしょうか。学校に行くこともままならない子供が、義務教育だからといって、裕福な家庭の子供と一緒に通うことが本当に幸せなのでしょうか。最近は発達障害の子供たちも増加傾向にあり、様々な支援学級がありますが、生活に困窮している子供たちは、時間帯をずらして学べる環境を作ってあげることが必要ではないでしょうか。もちろん、それは選べることが前提です。「わたしがひとりじゃない」と本人が思えるとすれば、同じ境遇にいる人と話題を共有できる場を作ることではないでしょうか。まるで、親の面倒、兄弟の面倒を見ることが不幸な印象を受けることがありますが、そのような経験をしてくれた人が、大人になって社会の一員となり、誰かを助けるため、よりよい社会を作ってくれるように思います。学校の在り方を再度見直すことによって、様々な問題の解決に繋がって行くように思います。

50~59歳 女性 みおさん

離婚して仕事、子育てをひとりで全てやらなくてはいけなくてそこに子どもの行事が重なったり、子どもが病気になった時に休みがとれないしどうしたらいいのか?となりものすごく精神的に追い詰められ、離婚した私が悪いんだから…と全てが負の連鎖でうまくいかず誰にも頼れなかった時にもうこんなんなら生きてても仕方ない、こんな大変な思いまでして生きていたくない、誰も助けてくれないしとかなり悲観的になり孤独を感じた。

50~59歳 女性 雪さん

私は、完全同居の嫁です。
そのせいで息子が不登校になりました。
私は、家庭内で唯一の他人で誰も味方がおらず、誰にも頼れず、毎日孤独で精神的に病みそうでした。
ちょうどその時にLINEがオープンチャットのサービスを始めました。
同じ境遇の愚痴を言い合える仲間が欲しくて即部屋を作りました。
共通する悩みや愚痴を聞く事で、かなり精神的なダメージが軽くなります。
でも、これだけでは何も解決しません。
愚痴を吐くのは一時しのぎです。
それでも同居嫁は気が狂う人や、逆に殺人を犯す人もいるぐらい精神的にきついので、この一時しのぎでもとても助かります。
私は、「孤独・孤立対策室」が出来、大臣までついた事でとても期待しました。
今はどこに相談に行っても、嫁の窓口でないので相談出来ませんとはねのけられます。
でも、フローチャートから自分の窓口を探しても相変わらず嫁の相談窓口はありません。
何度も要望を出していますが、何一つ改善されていません。
同居嫁で苦しんでいる家庭は、子供達も同様に苦しむ事になります。
育児には母親の心の余裕が物凄く大事です。
核家族でさえ、妻に心の余裕を与えられない夫のせいで不登校になっている子供は多くいます。

一度調査されるといいです。
どうか同居嫁が相談に行ける窓口を作ってください。
そして未来がある子供達を不登校の地獄から救ってください。
よろしくお願いします。

50~59歳 男性 春日部のからすさん

カナダ国ブラウンズウイック州に単身で赴任したときに、街に日本人は一人で、ゼネラルマネージーで着任した為に現地人より疎外感を感じた!
フランス語圏で英語余り通じずストレスが溜まりまりました!

30~39歳 男性 ちゃすさん

海外で勤務をしています。海外に赴任となるまで日本で仲良くしていたグループがありました。SNSで毎日連絡を取り合っていましたが、海外に赴任してしばらく経つとSNSグループの話題は自分以外のもので溢れ、疎外感を感じるようになりました。
そして、ついに耐えられなくなりそのグループを抜けることにしました。
それ以降、個人的な連絡も来ないことに「なぜ自分に連絡をしてくれないんだろう。自分がいなくてもいいんだ」という思考になり、孤独を感じるようになりました。
連絡が来ない理由を考えるようになり、呪縛のような状況が続きました。
その後、SNSを開き、連絡が来ないことを知ることが怖くなり、連絡が来ない辛さを味わうくらいなら連絡が来ないことが当然である状況を作ればいいと考え、SNSを退会しました。
グループを抜けたり、日本で仲の良かった人たちと連絡が絶えたりしたことは寂しいと思いますが、一方で過去に縛られず、目の前の状況を見るようになったと思います。赴任先での友達関係を楽しもうと思い、生活しています。日本に帰ることがあれば自然にまた元のように連絡が取りあえる関係になればいいと思いますが、それはその時考えようと思います。
乗り越えたとは言えませんが、会えない人を考えるよりも会える人と楽しんだ方が良いと考えました。

30~39歳 女性 野良犬さん

母が亡くなって16年。
我が家は元々父親がアルコール中毒で母や兄に激しい暴力を振るう機能不全家族でした。
母が亡くなってから父とも兄とも絶縁していて、親戚付き合いもなく、頼る人は誰もいません。
この世の中は家族・親戚のコミュニティが中心となって扶助しあっていて、コミュニティを持たない人間に居場所はなく、ひとりぼっち。
心が休まる居場所はどこにもないんです。
野良犬です。

50~59歳 その他 渋木さん

わたしはひとりじゃない 体験談を教えてください
答えられません 必死に居場所をさがしてもみつけられません
あなたはひとりじゃない 希望の光がさしました
載ってる相談窓口に相談します
お住まいの市町村を答えます
保健所と役所を教えられます
保健所は病院紹介 役所は明日の食べ物に心配なければかえされます
社会福祉協議会 私はサービスをうけられません
誰もわたしが
孤独なことを